村橋久成(北海道大学付属図書館所蔵写真より)
北海道産業の礎を築いた薩摩人。甦る、村橋久成。北に夢を追ったサムライは、何を思い流浪の人となったのか。


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小説「残響」
胸像「残響」
薩摩藩派遣英国留学生
軍監 村橋直衛
開拓使麦酒醸造所
放浪、そして死
村橋久成年譜



北海道久成会の活動




 平成17(2005)年9月23日、北海道知事公館前庭において、開拓使ビールの生みの親として知られる村橋久成(むらはしひさなり)の胸像の除幕式がとりおこなわれた。
 一般にはあまり知られていないが、久成の業績は麦酒醸造所(サッポロビールの前身)建設にとどまらず、琴似屯田兵村・七重勧業試験場・葡萄酒醸造所・製糸所・鶏卵孵化場・仮博物館・牧羊場などを創設し、北海道産業の基礎を築くという特筆すべきものであった。
 昭和57(1982)年、作家・田中和夫氏による小説「残響」の北海道新聞文学賞受賞をきっかけに、村橋久成の名は再び人々の知るところとなり、それに触発された日本芸術院会員の彫刻家・中村晋也氏による胸像「残響」が誕生した。
 平成11(1999)年に北海道久成会が発足し地道な活動が続いたが、平成15(2003)年7月の高橋はるみ知事の道政執行方針演説の中に村橋久成の功績が取り上げられたことを契機に、翌年“胸像「残響」札幌建立期成会”が結成され、前述の除幕式へと結実した。
 二つの「残響」に導かれ、百年の時を超えて再び歴史に登場した村橋久成の生涯をこのコーナーで辿ってみたい。